1.簡単な自伝
親爺が中学校の教員だったこともあって、子どものころから教師になりたいと思っていた。だから、大学は旧制高等師範学校の後身である東京教育大学理学部化学科に行った。教職科目を一通り履修して教育実習を残すのみとなった3年生の時、私の興味は当時確立しつつあった分子生物学に移ってしまった。ヒトの遺伝子に関連した研究したいと思ったが、当時まだ分子レベルで研究する技術は開発されていなかったので、高分子物質として研究しようと思って大学院の修士課程に進んだ。この時、研究者として生きてゆこうと思って、教育実習をしないことにした。大学院で勉強するうちに染色体異常ができるメカニズムを研究したいと思いたって、博士課程は東京医科歯科大学に進学した。
東京医科歯科大学では、細胞培養と染色体の観察を手段として、さまざまな染色体異常の発生機構の研究を行った。併せて、染色体異常症の細胞遺伝学的診断や発がん物質の検定も実施した。その後、杏林大学に異動してからは、教育と学部の管理業務に忙殺されたが、できる範囲の研究を続けた。主な研究成果は、日本人集団の末梢血リンパ球中の染色体異常頻度の調査-放射線放出事故の際の比較対象のための基礎資料-、フッ素の染色体異常誘発メカニズム-ヒトへの発がんリスクの評価-、染色体組み換えに関与するDNA切断酵素の役割、などである。多くの研究者との議論を通して、研究の出発点である事実の確認と、実験結果を客観的に解釈するための論理的思考のトレーニングができたことは、大学を出てすぐに教員になったのでは得られない貴重な体験であった。
定年後、3年間の客員教授を経て、名誉教授になって今日に至っている。定年後、精神保健ボランティアの講習を受けたり、児童の放課後事業を手伝ったりしたが、若いころの中高生に対する教育への意欲が復活して、不登校児の教育支援に身を投ずることにした。
2.私の教育の原則
大学ではヒトの遺伝や環境衛生学や社会福祉学を教えた。環境衛生学では人の遺伝をベースに突然変異や発がんのリスクに、社会福祉学では遺伝性疾患の発生頻度を基に社会保障の理念としくみに焦点を置いて講義した。
私は教育の原則として、学生の30%が理解できなければその授業は失敗だと考えている。しかし、入学してくる学生の中には高校の時に生物や化学や歴史を履修していない者がいるので、授業では、中学校のレベルから大学レベルまでを詰め込まなければならなかった。私は入学試験問題の出題もしていたので、高校の教科書の内容をふまえつつ、基礎知識がなくても理解できるような話の組み立てをするように工夫したのだが、100人以上の授業では70%の学生に理解させることは大変難しく満足できる授業は少なかった。しかし、10人程度の少人数の授業では、学生の理解度を追いながら授業を進めることができた。
不登校児の学習支援に当たるようになってからも、子どもが「わかった」と目を輝かせなければその授業は失敗だと思っている。子どもの父母からは、一生懸命説明しても子どもが理解しないと、「これだけ説明しても何故わからない」とか、「昨日はできたのに何故今日はできない」、などと子供を叱ることがあると聞くが、教育に携わる者がそう言ってはいけない。教育とは、教える側と教わる側は対等であると考えて、いろいろな説明方法を考えながら子供の「わかった」を目指す、教師側の努力だと自戒している。
3.不登校児への学習支援-必要なスキル
不登校児の学習支援において難しいことは、彼らの知識がまだらなことである。まだらとは、数学で言えば、かけ算ができるのに引き算ができないとか、一次方程式の文章題を式に落とせるのにわり算ができないというように、基礎学力の一部が欠落している状態をいう。
彼らのプライドを損なわないように学年相応の領域から問題を選ぶが、解き方の解説をしながら、できない領域を把握しようとする視点が大切となる。忍耐強く何回でもできない領域に戻って学習を継続しなければ、「わかった」には到達できない。したがって、既成の問題集を解かせて〇が何題、×が何題とするのでは不足であり、子どもの弱点を把握して強化できるように、独自の問題を作成することも必要な作業である。子どもの弱点の把握の方法や弱点を克服するための問題は、スタッフ個人の工夫に留めず、支援組織で共有することが組織の教育力を向上させることになる。
子どもたちの「わからない」は、時として哲学的な問いかけになる。例えば、負の数をひき算することは、なぜその数の絶対値をたし算することと同じなのか、とか、負の数どうしをかけ算するとなぜ正の数になるのか、となどである。学校で集団で教わるときは、機械的にこうすればいいと皆で納得してしまって疑問をはさまずに済んでしまうことが多い。また、文字を使った式の計算になじめないと分配法則がわからなくなることがある。小学校でかけ算の筆算をする時には分配法則を使っているんだけれど、文字になると思考停止してしまう。「機械的に計算すればいい」といって受け入れてくれる子どもはその先に進めるが、受け入れられない子どもは達成感がもてない。この子どもに対しては、「わかった」が出るまで、その子供にあった方法を模索しながら丁寧に説明することが必要である。
不登校児は自分が同学年の友人よりも遅れていることを十分に自覚している。学習意欲のある子どもはきっかけを与えると集中して勉強することがある。しかし、一旦つまづくともう面白くないと投げ出してしまう傾向もある。一つの単元を理解するためには先ずは30分程度学習に集中する必要がある。ここで、「わかった」となれば、あとは一人で問題を解いて間違えた個所を復習すればいい。しかし、勉強時間が1週間に15分しかなければ、何回同じ問題を説明しても「わかった」という時は来ない。支援施設では、子どもたち一人ひとりの到達目標を設定してどの程度の学習時間を確保しなければならないかを予想し、子どもたちのストレスにならないような教授法によって学習の持続をはかることが必要である。学校では主要教科は1週間に1教科3,4時間の授業があることを考慮すると、到達目標に達するために必用な学習時間は想像できるだろう。
4.不登校児の学習支援-学習による自己肯定感の醸成
一人では背負えないほどの負担が子どもたちにかかっている時、保護者と話し合ったり、子どもたちの話を聞いて寄り添ったりして、環境を整えることが大切である。子どもたちが精神的に安定しない時期に学習を強要してはならない。
一方で、子どもたちが自分ではどうにもならない環境から逃れて学習に目を向けた時には、学年に応じた領域を学習しながら子どもに欠けている基礎学力を補完することが、自己肯定感を高めるために有効である。学習をすることによって煩わしい環境から逃れることができ、生きるための基礎学力が醸成されるとなって子供にとって一石二鳥の利益がある。
子どもたちに寄り添うという福祉の原則が優位になると、子どもたちを遊ばせて観察することが支援の目的になりがちである。この方策は支援者の自己満足であって、子どもたちの利益を損ねているということを自覚すべきである。支援者に必要な視点は、子どもたちが精神的に安定しているかどうかの判断と、どのような学習をしたいと希望しているかの判断の両方であって、一方に偏っては支援として不足である。子どもたちが自身では解決できない環境の中で、自己肯定感を高め、生きるための基礎力を養成するために何が有効であるかを熟慮することが子どもたちへの責任であると思う。
5.勉強は何のため?
不登校の中学生に数学を教えていた時に、「この勉強は将来何の役に立つんですか」と聞かれたことがある。数学的に考えることによる論理性のトレーニングということも理解していないだろうし、どのような職業がどの領域の知識を必要とするかも知らないだろうから、詳細な答えはしないで、君たちの将来の選択肢が増えるとだけ言っておいた。その質問は、おそらくあまり勉強しなかった大人が言ったことなんだろう。だから、このままではいけないと思って、「君たちが今何も勉強しないことが将来どんな役に立つのか説明してほしいと」と問い返しておいた。不登校児の教育に当たる者は、学習することの意義を説明できるようにしておかないと、子どもたちの選択肢を狭めることになると銘記すべきだと思う。
学年の違う子どもたちや世代の違う人たちとの交流の機会を増やして、社会を垣間見させることも大切な教育だ。「だがしや楽校」という施策があって、型にはまった学校教育に対して、子どもたちが体験を通して学ぶ放課後教育として提唱されている。体験を通して学ぶことは大切だが、学校で学習しない不登校児に対して放課後のメニューだけを提供しているのでは子どもたちは自立できない。学習指導要領と教科書検定には様々な問題があることをふまえても、学習のない教育は生きる力を失わせる効果の方が大きいだろう。
子どもたちは理解に到達できない勉強はしたくない。理解を目指さない勉強は、往々にしてじっと座って時間を過ごすだけの苦行になる。子どもたちに「わかった」を体験させるためには、子どもが「わからない」領域を的確に把握しなければならない。
自宅や塾で勉強しているから支援施設では勉強させてはいけない子どももいる。しかし、自宅や塾で勉強していることが理解できているのか、それともじっと座って時間を過ごしているだけなのかを判断する必要がある。もし後者なら、子どもはわからないことへの劣等感をもち、わかりたいと人一倍思っているに違いない。支援施設では、自宅や塾の学習内容を把握して、必要な時にサポートできる体制をとらなければいけない。支援施設では不登校の子どもたち個々に、教科の基礎を理解するための時間を設定して、少なくとも週に何分間学習時間を確保すればいいかを考えて学習計画を立てることが望ましい。家庭や塾の学習との連携を図ることは当然だ。施設での学習計画は随時見直すことにすれば、無理なく学力が養成できる。
声のかけ方も工夫が必要だ。子どもたちを勉強に誘う時に、遊び道具を出したままで「勉強しない?」と声をかけても「する」という声は返ってこないだろう。ゲームをやめて、「それでは勉強の時間だね」くらいのメリハリをつけなければ、学習に誘うことにはならない。子どもたちを勉強から逃れさせることをもって寄り添っていると考えるならば、勉強をしないことが子どもたちの将来にどんな役に立つのかを予想すべきである。勉強を楽しく優しく教えるスキルが我々にはあるのだから、それを施設で共有して、苦行ではない勉強のしかたで子どもたちに学習の楽しさを教えたい。問題が解けるようになれば必ず自己肯定感も上がってくる。高校の勉強も頑張れるだろう。
不登校児童の学習の目標としては、高校の授業になじめるだけの基礎学力をつけるということだと思う。子どもたちの適性にあわせて、得意な教科や領域を見つけて補強してゆけば高校の卒業と専門学校や大学への進学が見えてくる。
